困っている人がいたら? ―都会人の答え―
「案外人は自分のために生きていない」(2021-10-25)の続きですが、単独でも読めます。
ずいぶん前に東京の駅構内で凍死した人がいましたが、発見されたのは通勤時間が過ぎた後でした。これを聞いたフランス人が「パリでもこんなことは聞いたことがない」と驚いたそうです。
パリ人も他人には無関心だが、通勤途中に人が倒れていたらさすがにそばに寄ってみて通報するだろう。あれだけ多くの人が通勤する東京で、誰一人そうしなかったことにこのフランス人は驚いているのです。
この例が示すように、「困っている人がいたらどうする?」という問いに対する都会人の答えは「関わらない」だと思います。
では、この都会人は自分のために生きていると言えるでしょうか?
倒れている人に関わってしまうと仕事や用事に差し支えが出る可能性があり、それは結果的に自分のためにならない。だから、関わらないことは自分のために生きているのだと言えるかもしれません。
でも、私にはそう思えないのです。「自分のため」というより「自分の仕事や用事のため」に生きているように思えます。
困っている人を見たら助けたいと思うのは人情です。人情というと何となく説得力に欠ける気がしますが、孟子はそれを「惻隠の情」と呼び、「仁」の始まりとしました。そもそも、助け合うことによって人類は自然や外敵の脅威から身を守ってきたはずです。
仕事や用事のために、助けたいという気持ちを押し殺すことは「人間らしさ」を失うことにつながります。「人間らしさ」を失うことは「自分のため」にはなりませんよね。